旅とギターとオーバーロード
text by Takashi Kikuchi / photo by Yusuke Kitamura
メジャーデビューから20年
自由でいることを愛するシンガー・ソングライターのKeison。日本国内のみならず、海外へも音の旅を続けている。旅の相棒は、いつもアコースティックギターとバックパックだ。
シングル『Fine』でメジャーデビューしたのが2000年3月。今年3月、ちょうどデビューから20年を迎えた。「歌を歌うようになったのは中学くらいじゃないですかね。高校時代にはバンドも組んでいたし。当時はバンドブームでしたから、メタリカとかハードロックもやっていましたよ。バンドでの俺はドラムを叩いたり、ギターを弾いたり。いっぽう一人で駅の近くの路上で歌って、日銭を稼いで。一人で路上で歌うことが、なんか好きだったんですよね」
20歳を過ぎメジャーレーベルと契約。今でこそ、自分のライフスタイルに合わせてアーティストも自分の場所を選択し、自分の音楽を様々な方法で発信することができるけれど、2000年頃は、日本の音楽シーンの中心は東京だった。Keisonも生まれ故郷の静岡を離れ、首都圏で暮らし始めた。
「川崎の多摩川沿いにアパートを借りて。やっぱり、水が近くにあるっていうのが性に合っているみたいで。東京には4年いて、最後の1年はそのアパートを解約して、車で寝るという駐車場暮らしをしていて。メジャーにいた頃は、自由な旅はできなかったけど、ロンドンやスペインにレコーディングで行かせてもらったから、いい経験をさせてもらっていたと思っていますよ。給料制だったから、逆に安心し過ぎちゃって、遊び過ぎたということがあったのかもしれない(笑)」
サーフ・ミュージックの流れの中で
メジャーレーベルを離れたKeisonは静岡に戻り、ライブを活動の中心にシフトチェンジしていった。インディーからアルバムをリリースし、バーやカフェなどでライブをする。10代の頃から、音楽と同じくらい愛していたサーフィンも、Keisonの日常に戻ってきた。
2005年夏には、シンガーソングライターのCaravanやKeisonのバックバンドを務めたこともあるMagnoliaとともに、1台のバスに楽器とサーフボードを乗せて全国を巡ったSurf Rock Tripツアーを行なった。横浜でGREENROOM フェスがスタートしたのも2005年だ。ジャック・ジョンソンの人気が、アメリカや日本から世界に広がっていったのもこの年だった。サーフ・ミュージックという言葉が音楽のジャンルのひとつとして使われるようになり、サーフ・ミュージックを代表する日本のシンガーの一人として、Keisonの名も広まっていった。バーやカフェなど、ライブハウスではない場所でライブをするという旅のスタイルも定着していった。
Keisonは、今でも年間に120本近いライブをしているという。その多くがバーやカフェだ。楽器だけではなく、音響機材も車に乗せ、歌の旅をする。
「日本だと、自分で電話して、ライブをする場所を決めて、旅のルートにしていくんです。イベントやフェスに誘われることもあるけど、そんな時にはその前後でライブをやれそうなところを探す。日本の旅は、ほとんど自分の車です。後ろのシートを外して、多くの荷物を乗せらせるようにしていて。車中泊もできますしね。車が故障してしまった時のことも考えて、大型のバックパックも常に積んでいるんですよ。バックパック、テント、シュラフ、マット、そしてギターと音響機材とサーフボード。これを日本の旅では常備している。車を捨てて、次の場所まで電車でも移動できるようにね。ライブに行けないっていうことになってしまうと、相手に迷惑をかけてしまうから」
ギター、テント、シュラフを持ってのバックパックの旅
Keisonの音の旅は、日本だけではない。冬には台湾やベトナムなどの暖かいアジアに行き、夏にはヨーロッパへも足を延ばす。もちろん、それら海外の旅も、相棒はバックパックとギター、テント、シュラフ。そして数年前にオーダーして作ってもらった飯ごうスピーカー。飯ごうに小型のスピーカーとアンプを内蔵させもので、旅先で路上ライブが自分のシステムだけでできるようになった。
Keisonの旅の原体験は、小学時代にあるという。
「プチ家出じゃないけど、リュックに缶詰などを詰め込んで、どこかの橋の下に行ってサバイバルごっこみたいなことをしていた。友達と行ったり、自分一人で行ったり。海外に行ったのは10代の終わりか20代の初めにバリへ。それは波乗りが目的です。バックパックの旅ってやっぱりいいですよね。バックパックひとつだけで荷物が全部っていうスタイルがいい。担いで、あとは歩くだけ。テントがあればどこでも寝られちゃうじゃないですか。家で旅の装備を考えている時も楽しいんですよね。無駄なものをそぎ落として、できる限り少なくする。前は使わないものを持っていってたんですけど、今は必要最小限のものしか持っていかなくなりました。旅するときは手ぶらでいたいっていうか」
削ぎ落とされ、残ったものがギター、テント、シュラフ、スピーカーといったものたち。そしてそれらを持ち歩くために必要なバックパック。結局それらはKeisonにとって、普段の生活においてもなくてはならないものなのだろう。
「今までの旅では50リットル程度のバックパックを使っていました。そこにパンパンになるまで食料などを入れて、ギターは外につけて。次の旅ではこのテラフレームを使ってみたい。フレームとパックの間にギターだけではなく物販グッズなんかも入れて(笑)。物販を旅先で売って、帰りにはその空いたスペースにその土地土地のお土産を詰め込んで。旅では気になったものって、どうしても出てくるから。これだけ拡張性の高いバックパックだとなんでも運べちゃうし、できちゃうよね」
海外でもライブでは、自分の歌を日本語で歌うという。言葉を超えたコミュニケーションが、音楽によって成立する。
「路上でもカフェでも、どこの国でもどこの街でも、日本語の歌でも英語の歌でも、聞いてくれる人は聞いてくれるし、聞いてくれない人は聞いてくれない。スペイン語バージョンの『マイウェイ』を歌ったりすることもあるけど、ライブで歌うのはほとんどが自分のオリジナル曲です。自分の曲を英語の歌詞に変えるのもいいかなと思ったこともあったけど、英訳するとニュアンス的に変わってくるし、言葉の数や音で捉えると意味そのものも変わってくるし。英語もスペイン語も、そんなに喋られるわけじゃないけど、歌うことで不思議にわかりあえることってあるんですね
旅に誘ってくれる音楽
暮らしのベースとなる静岡ではもちろん、旅先でもいい波があれば海に行く。
「ハワイに行ったら、ミュージシャンはみんなサーファー。波乗りは気持ちいいですよ。波はいつもあるわけじゃないけど、波乗りをやった後の時間がまたいいんですよ。けだるい感覚っていうか。最近はSUPもやっていますよ。のんびりクルージングして。冬の静岡は波があまりないし、天気のいい日にはふらっと山に行ったりします。テントとシュラフを担いで、人のいない山に入っていく。いいホテルに泊まるのもいいんですけど、いいロケーションで、誰もいないところでテントで寝るって最高の時間じゃないですか。自然の中に自分がいるっていう感覚っていいじゃないですか」
Keisonのライフスタイルのバックボーンにあるのは、海や山といった自然。そして自然を求めて、自由な旅へと向かう。そしてそこから得たものを自分の言葉で歌に変えて表現していく。
「旅ってやめられないものですよね。かっぱえびせんのような(笑)。ミュージシャンって、自分にとっていい職業だったと思う。人がいるところに行って歌う。演奏して、みんなと会って、お金をいただいて、次のところに行ってまた演奏する。それが自分の生活であり、刺激をもらえるところでもあり。動いていた方が精神的にも安定しているんですよね」
メジャーデビューから20年、インディーに戻り再始動してからも15年。今年は久しぶりにソロアルバムのリリースを予定しているという。
「ソロになると何年ぶりになるのかなあ。レコーディングで使っているところは、古い木造のバーなんです。外を通る車の音も聞こえてくるようなお店。そこで4チャンネルのミキサーを使って、一人でやろうと思っているんです。風で窓が震える音が入っていたとしても、それを良しとする。お店の持っている雰囲気も音に出ていて、なんかいいんです。音楽は俺にとってチケットのようなものかもしれない。音楽があるから、いろんなところに行ける。もし音楽がなかったら、旅ができていなかったかもしれない。とりあえず、ミュージシャンで良かったですよ(笑)。これからも、いろんなところに行けたらいいですね」
フェスが日本全国で行われるようになり、カフェやバーでもライブが特別なものではなくなった。Keisonにとって、日本だけではなく初めて訪れる世界の見知らぬ街でも、歌える場所はどこもホームグラウンドになるのだろう。Keisonの歌とギターとバックパックの旅はこれからも続いていく。
Keison
中学2年より兄の影響でギターを始める。放浪生活を経て2000年3月に『Fine』でデビュー。2004年にメジャーを離れ、拠点を静岡に戻しライブ中心の活動にシフトチェンジ。今年でデビュー20年。新作アルバムのリリースが予定されている。ギターとバックパックを相棒に、日本のみならず海外へも歌の旅を続けている。
Keison Official Website
http://www.kobuchizawa.net/keison/